3.11 それぞれの判断と記憶 

アメリカ生活
心が晴れる日がきますように

アメリカは今日が3月11日です



昨日 「母から今日で12年目だよ」って

メールがきて そうだよなぁ・・と

テレビで見たあの生中継の映像は 

今でも目に焼きついています





私はあの日 東京のオフィスにいて

すごい揺れを経験しました

金曜日の午後でしたね

緊急時用のテレビがあったので

会社の皆でテレビの情報に釘付けでした 


会社は水も電気もトイレも

問題がなかったので

私は一晩会社で過ごしました




家族やペットを心配して

何十キロも歩いて帰った人も

たくさんいました



当時 私の上司は外国人で

ちょうど海外出張に出かけていて

東京に暮らすその家族の安否

特に小中学生だった

日本語の話せない 子供たちと

携帯電話の通信状態が悪く 

どこで どうしているのか 

夜まで連絡がつかなくて

とても心配したものです




日本人ですら混乱していたのだから

多くの外国人駐在員たちも

情報不足に困惑し 

疲弊していたことを覚えています




日本を出る人

家族を本国に返す人 

いろいろな判断でした




数日経って 海外の本社から

原発が危ないから

東京から脱出しろという指令が入ってきて

なんてクレイジーな指示だと

皆 首を傾げたけど・・ 





当時 外資系企業に勤めていたので

海外の本社としては

どうやって支援するのか

今の混乱状態をどう対処するのかということを

日本の外から考えていて




そして情報ソースも

日本の外から 英語や違う言語で

この震災の経過を見ていたので

日本国内との情報のギャップ

がありました




いま 東京を去る人なんて

いないよ? 

これからみんなで復興だよ?

と日本人の私たちは

団結心を持っていましたよね


募金をして 節電をして

そして経済を止めないよう

企業活動を継続して・・ 




でも海外からは

原発は相当ヤバイ状態にある

日本では真実が報道されていない

と捉えられていました




アメリカは確か

アメリカ国民に脱出用の

チャーター機を用意してましたよね




結局私たちは

大阪や名古屋方面のオフィスへ移動して

暫くホテル住まいをしながら様子をみて

今思えば 随分なコストを使って

分けのわからないことを

したものだと感じますが




当時は何が正解か

知る由もない ですよね



あれから12年 



 

またこの時のことを

振り返りたいと思います 





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プロフィール

カプチーノ

初めまして!

ご訪問ありがとうございます

40代にして初めての

アメリカライフを体験しています

現在のアメリカのあれこれや

海外生活のよしあしを

綴っています

在住地:アメリカ

海外居住歴:4か国目 通算10数年目 

海外旅行歴:20数か国

家族:日本人夫と二人暮らし

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